ところで、皆さんは子どもの知的成長や発達についてどのようなイメージをもたれているでしょうか。

多くの方が、どの子も一定の順序をたどってその時期にふさわしい学習や経験を積みながら発達していくことを思い浮かべるのではないでしょうか。

生理的、身体的な成熟の条件に関係する、発達の段階や順序というものが確かにあります。階段をイメージするとわかりやすいかもしれません。一段ずつ、それまでの下の段の理解をクリアしながら階段を上るイメージです。

ジャン・ピアジェ(1896-1980)という、スイスの児童心理学の大家がいますが、彼の提唱した知能の「発達構造化仮説」はまさにそうしたものです。知能の発達には一定の順序があるわけです。

ところがこの理論をあまりに単純化したり、そもそもひとの発達や成長を階段を上る直線的なイメージとしてとらえ過ぎてしまうと、子どもに対する見方も、成長のペースが「いい」「悪い」「早い」「遅い」というものになりがちです。

現実には、この階段をかけ足で上る子もいれば、ゆっくりな子もいます。

また同じ一人の子の中でさえ、それまでできていたことができなくなったり、あるいは急に勉強に意欲が湧いたり、下がってしまったり、というようなことが往々にしてあるものです。

こうしたことを考えてみると、知能の面に限ってみても、子どもの成長や発達は一定の順序はあるにせよ、とても複雑なものなのだと思います。

私は大学時代、教育学を学びましたが、お師匠である田中孝彦先生の言葉で、

「人間が発達するということはみんな同じ人間になっていくということではけっしてなく、発達すればするほど違った人間になっていきます。
他の人には置き換えようのない、かけがえのない個性になっていく。
したがって、私たちが発達の筋道というときには、発達すればするほど子どもは違った存在になっていく、違った個性になっていくということを含んでいるはずで、そうでなければおかしい。」

というものがあります。(保育の思想 1998 ひとなる書房)(原文一部修正)

「ほかの子はできることなのにどうしてうちの子はできないんだろう?」と思い悩んだり、または親の期待通りの行動を子どもがしない場合に、親として心配する気持ちは当然あることなのですが、しかし、この、師の言うように、そもそもの発達や成長の機序がその子独自の個性的なものを目指すものなのだとすると、たとえば学校や塾の成績表とか学力評価基準とは別に、「あることができないでいる」その子どもの側に立って、徹底してその子を認めることがやはり大切になってくるのではないでしょうか。そうした点について、わたしどもの塾でもぜひ親御さんとともに理解を深め合いたいと考えているところです。