今日の中学生の授業で、標題の「感染」ということについて考えた。といっても、インフルエンザや病原菌のことではない。人が人に与える感染、それもとくに思春期の子どもの持つするどい、ある感受性について。
メモ代わりにみじかく記したい。

 僕も嘗て10代だったころがあり、仕事柄、そのころの感受性の遺産で生徒に接しているところがあるから感覚的によくわかるが、10代半ばの中学生にとって、初対面の同性の先輩(とくに男子)は身構えるところのある対象で、会った瞬間、そこにさりげなくするどい観察が働くものだ。すべての能力において自分より上か下か、観察の視点はそれだ。
 この人は自分には敵わない、すべてにおいて圧倒的に上だと瞬時に判断する。そうなると即座にその先輩は尊崇の対象になる。であるからその先輩の前で自慢話などをしている場合ではない。自分よりもっとすごそうな人を目の前にしているのだから。
 その逆の判断を下すならば、今度は自分たちの安心の材料となる。いわゆる大したことのない先輩は気安く話しかけることのできる、時にはバカにできる対象でもある。もちろん子どもの性急な判断が真か偽かとか、そうあるべきなのかとかいうレベルの話ではなくて、僕は10代半ばの人間の生理について言及していると思う。
 ところで、今日そのことが起きた。

 中2男子が多い、もともと同質性の高いクラスのもと、日常のややゆるんだ空間のなかでそれは起きた。
突然、教室に高校2年の圧倒的な体格の、見るからにさわやかで実直な体育会系男子生徒が扉をあけて入ってきたのである。口端がキラリと光る松岡修造テイストのオーラがいくぶん混じっていないでもない、そんな男子だ。
その瞬間、教室の空気がサッと一変したのを僕は感じた。なんと中2男子の生徒たちは突然の闖入者の存在をみとめたのちにみないっせいに下を向いてしまったのだ。きっと、これはかなわないと即座に判断したのだろう。

 実はこの高校生は今日はじめて塾に来た生徒だったのだが、僕は一度や二度ではない、たまにこうした場面に出くわす。

この場合、さきの高校生は中学生にとって感染力のある人なのだ。今後塾のなかで会う機会が増えるだろうから今日の一件は中2男子にとっての感染動機みたいなものだ。(そのことを考えて、僕はいま少しホクホク顔でもある。)

 感染とは、さしあたり人が人に影響を与える現象のことを指しているが、少年がだれか先輩に感染するとその先輩が自分の生き方のある種のモデルとなる。感染が強いとひどい場合にはその人の身振りや手振りや外見まで真似するようになる。尊敬の対象を自分のなかに取り込もうとする作用なのだと思う。(みなさんのなかでこの経験をしたことのある人はいませんか? ちなみに自分はあります。)これは昔も今も変わらない、意外と根深い人間の生理なのだろう。

思春期の感染はよくも悪くも瞬時に発生する。言語以前のものがある。