中学・高校の期末テストシーズンです。中高生のみなさんには、一点でも多く取って前回よりもいい成績になるよう願っています。さて、今日は最近私が読んだなかで面白く、かつ衝撃的だった一冊を紹介したいと思います。(興味のある方は塾生でも保護者の方でも、塾の図書室に目立つように置きますので、ぜひ借りて読んでみてくださいね。)

タイトルはずばり「AI vs.教科書が読めない子どもたち」(新井紀子著 東洋経済新報社 2018) 。
この本を読んで私は、①自分のこれまでのAI(人工知能)に対する認識の誤りに気づかされ、かつ、②子どもたちの教育についても深く考えさせられることになりました。

①の「前説」について今日はお話ししようと思いますが、私は今まで、AI(人工知能)はいつか人間の知能を超えて、AI自体がさらなる優秀なAIを生み出す日が来る(それには2030年や2045年説があるようです。)という、世の言説をそのまま信じていました。
5年前、イギリスのオックスフォード大学の研究チームが「雇用の未来―コンピューター化に影響されやすい仕事(The Future of Employment : How Susceptible Are Jobs To Computerisarion?)」という研究論文を発表し、10年後20年後に「残る仕事」と「なくなる仕事」を予測したのですが、そのリストを新聞で読み、近い将来、人間にとってかわってAIが仕事を担う世の中になるんだな、雇用が奪われたらどんな暗い世の中になってしまうのだろう?というふうに危機感を持ったことがありました。

そう、「すべてAIが面倒くさいことを人間のかわりにやってくれる、なんて便利で楽な世の中になるんだろう」と思う感性が私にはまるでなく、いやだなとずっと思ってきたのです。だってもしもそんな時代が来てしまったら、ひとは何して生きるんでしょう?考える必要もなければ、仕事をする必要もない。そうなると、生活の糧はどこから得るのか、「どうぞ遊んでいてくださいね」とAIから言われたにせよ、「こうすれば相手にスポーツやゲームで効率よく勝てますよ」などとアドバイスされ、肉体だけが残る。そして、AIにひとは支配されながら生きるのか?ひとの生きている意味はどこにあるんだろう? 子どもが発達し学習する必要はあるのだろうか?また、ひょっとしてAIがさらなる優秀なAIを生み出す時代がきたら、人類は間違いばかり犯しているので、AIによって滅ぼされてしまうのではないか? ひとがいなくなったAIだらけの地球上でかれらロボットたちは何をするんだろう…?という妄想が連綿と風船玉のように膨らみ、私はつきつまるところ、AI技術者に対して半ば恨みを持ちながら、将来の世の中に対しても相当悲観していたというわけです。

ところがこの本を読んで、私の妄想部分について「そうなる時代は決して来ない」ということがはっきり分かりました。
ちなみにこの本の著者の新井紀子氏は、AI技術に携わっている専門の数学者で、いまのAIの技術にもちろん精通している人です。新井氏がこの本で言うには、いまのAIだろうと今後ますます技術開発が進んで進歩するAIだろうと、できることとできないことがあるというんですね。裏返していえば、いつまでもひとのみができる領域はある、というんです。そこで「えっ、ほんとに?」と多くのみなさんは思いませんか?そのことについて次回くわしくお伝えできれば、と思っています。それでは。