コロナ関連とは別のことを書く。先日の土曜日(1月15日)の朝、共通テスト会場の東京大学で、事件が起こったことは周知の通りである。名古屋市の名門進学校にかよう高校2年生の少年がナイフで3人を刺したという例の事件だ。うちの塾の五人の大学受験生のいずれも会場が東大だったので、事件の一報を午前中に知ったときはまったく気が気ではなかった。
また通り魔かと改めて思う。どうして加害者少年は無関係な人々を刺したのだろう。実はもうコロナ禍よりも以前からそうなのだが、他者をめぐって還流し、個人のうちに内面化され、それが適切に身近な他者に向けて表現され、相手の反応があってまた最初に戻るという一連の感情の回路がどうも社会のなかで上手く機能していないことを思う。
ここまで通り魔が続くと、そうした反社会的な行為をするのは一定の人間のプロトタイプの者と思わざるを得ないし、没個性的であるようにすら思える。共通するのは、挫折や失敗の経験が葛藤として個人の内面に沈澱し、自ら引き受ける問題群として意識される前に、嫌なことがあると、衝動的にいとも簡単に無関係な他者への攻撃性へ通じてしまうパスウェイができあがってしまっているように傍目にはみえることだ。
しかしこの推測は間違っているかもしれない。進めよう。
ナイフを持つということから考えると、相当の、現状に対する否定(他者と自分を含む)を意味することに誰しも異論はないだろうが、ところでこうした強い現状の否定は、それまでのその人の履歴で、他者との関係とそこから生まれる感情の循環に、なんらかの強い、良くない停滞と固着があったことを自然と物語るものではないかと私に思わせる。例えば児童虐待が私の念頭にある。
さて、どちらかというと思春期・青年期になんとか渡世を過ごしてきた僕にとって、一般的な「他者」というのは自己の承認を得るうえで、とても大切である一方、じつに厄介な存在であった。それは、自分の存在が社会や他者と、そう簡単に折り合いをつけられるものではないだろうと、14歳あたりのときに感じた自分自身の経験による。善悪ということも考えた。その善悪でいえば、自分は悪で相手が善という自分なりの判断があった。振り返って、自分の家庭に特別な問題があったとか、そういうふうには思わない。
言いたいのは、ごく平凡な生い立ちであろうと、思春期・青年期は誰にとっても、善悪のことを考えつつ、他者からの承認を経ながら自分自身の存在を内的に支えるという作業をともなうので、それなりにしんどい時期なのではないか ということだ。
だからこそ、と省みて、塾のなかで生徒のほぼ多数は決していいことばかりを言わない。どちらかといえば、マイナスなことや少し変なことを言う。それはある意味健康なことだと僕は思っている。
それゆえ、自分の若い頃を振り返ってそれなりの苦いことがあり、他者へ向けてそうした負の体験を表現することは、おそらく本来自然なことなのではないかと僕は思う。また、いま思春期、青年期の只中にある人にとっても自分の負の否定的な側面を誰か身近な他者に向けて表すということは、他者から、「お前はクズ」と言われようとなかろうと、同様に自然なことのはずだと思う。
コロナ禍前から、上記のような、社会の危うさをずっと僕は感じてきた。本来そういう、人にとって自然であるように思えるはずの、ネガティブな個人の感情が他者に向けられることなくそのままに放置されて、ただただ感情が増幅してしまうような環境があまりに社会的に整ってしまっているその危険性だ。自分と異なる他者との交流の経験や経験の深さが少ないことをおのずと用意してしまっているこの社会のリスクを、だ。
自分は正しい、相手が間違っているという人間が、いまいかに多いことか、僕はそのことを思う。そのような人間を生み出しているのは、僕たちの環境とか社会の経済的社会的な余裕のなさや個人のコミュニケーションの物足りなさが相関しているのだが、ここをある程度年長世代が自覚できれば、思春期、青年期の若い世代に対して語りかけるひとつひとつのことばも、それから耳を傾ける態度も少しずつ変わってくる。
他者に向けられる攻撃性の多くが、短絡的な、自分は正しい、相手が間違っているという図式から導き出されていることを思えば、僕のことばはこうなる。
ナイフを持って人を傷つけてしまった少年よ、君はそれを持たなくてよかったのだ。どうして持ってしまったのだ? 君は別になんら特別でも、善人でも悪人でもない、社会の犠牲者でもない、普通の人間だよ。何でナイフを持つ前に君の身近に少なくともいたであろう、年長者の「オレに」言わなかったんだ、何を早まっているんだ、と。
君の内面がキツかったのであれば、ナイフを持つ前に、絵でも詩でも音楽でもいい、ワーっと叫べればよかったんだ。君は君と同じような思いを抱く同世代が、きっといたはずなんだぜ?
わかるかい? それなのに何やってんだ!
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