先日50歳になりました。4月には友人を亡くしたこともあって、自ずと人生の時間、来し方行く末と向き合うようになってきたのかもしれない。。時は流れ、そして流れず。

流れるままに生きてそれでも滞留し続けるものがあります。

我ながら思秋期を迎えているのかなと感じていますが、そうしたことを思うタイミングでこのあいだ母校の小学校の同窓会があり、参加しました。一部のひとを除いてほとんどの人は37、8年ぶりの再会で、今年阪神タイガースが優勝したのが1985年以来で、それと同時期で、まことに恐ろしい、どうなることやらと思って参加しましたが、じつに楽しかった。

長い時間を隔てながらも、僕にせよ皆にせよ、だいたい誰が誰なのか、その場で分かったのですね。これには我ながら、あるいは自他共に驚きでした。

そう、僕はまず、ひとの認知機能の凄さに驚きました。40年近くの再会でみんな、誰が誰なのかわかる。しかしこれは認知機能と同時にひとの萌芽とか個性にかかわることなのかも知れないと思っています。

(それにしてもなかなかこんな機会、滅多にあることではないですよね。)

容貌の変化などは当たり前のことです。しかし皆が皆、会って話してみると、12歳当時の面影が何かしら残っているもので、ああ、変わらないなと思う。そして、おお~そうか、という新鮮な驚きがある。

おそらくきっと変わらないその人なりの芯の周辺に、これまでの昭和後期から平成の30余年を完全にまたいできたさまざまな人生経験の上積みがあるのでしょう。

僕は惜しむように言いたいのですが、過去は腕を伸ばせばすぐ手に届きそうなところにある。なぜなら過去の思い出が僕たちにはまだ鮮明だからです。

だからと言って物理的な時間の言う、過去に戻れることは二度とありません。時はそれなりに流れました。

ひとには変わらないものと変わるものがあると思います。ひとは10代のうちにそのひとの芯となるものを素質と環境のうちに形成して、あとはその芯を、その人なりに一定の方向で伸ばしていくものでしょうか。なるほど、途中で生き方の変節といったものも確かにありますが、たとえそうであっても、50くらいになると、それぞれの人の心のなかに、ふんわり過去が立ち上がってくるものでしょうか。あるいはそう穏やかなものではないかもしれない。過去がひょっとすると闘いの記憶として立ち上がる人もいるかもしれません。しかしどのようなかたちであっても、過去が自然と立ち上がってくるとすれば、人がそれなりに生きてきた証左だろうと思いますし、その意味で過去は現在なのです。そして過去から現在に至るまで、滞留するものがあればそれはその人の素質、素地なのではないでしょうか。つまりはお互い自分らしさとして大事にできるところですよね。

ところで、えてして同窓会というものは、現在よりは過去の思い出話に花が咲くもので、それが50代の、久々の小学生の同窓会であればなおのこと、ああ、小学生のときの○○ちゃん、○○君だ、と分かれば、それだけでおお~と感激し、ハグしたくなる自分がいました。

翻って、これまでの会わなかった時代の歩みがお互いの表情に刻印されており、なんと言えばいいか、、強調したいのですが、時は流れたのですね。

率直に言って、まるっとお互いの幼年期を慈しみ、これまでの会わなかった長い間をまるでいたわる感じを、僕は今回経験しました。

これが20代、30代の同窓会なのであればどうだっただろうか、僕はそう思います。過去を慈しむ余裕もなく、いま現在のことにしかお互い関心が向かないかもしれない。現在の互いの労苦と幸福とに思い馳せる余地もあったかどうか。ここは肝心なところですが、50代の同窓会の場合、それはじつに50代ならではの空気感なのではなかろうかと感じています。亀の甲より年の功でしょうか。今はどうしているかより、メインは昔の恥ずかしいことを含めて笑える話が多かったように思います。自他ともに、過去をそれぞれ皆とシェアしたい気持ちに傾いている気がしていました。過去をシェアできる嬉しさと頼もしさがちょっとずつあるのかな。

その延長線ですが、この間は同級生たちと会うことで自分のルーツを再確認しちゃった感じがあったのです。

ルーツをたどるとそこには地域性がかかわって参ります。荒川区の町屋、決してお上品な土地柄ではありませんが、ともかく生まれ育った場所の地域の特徴があります。昔はおおむねブルーカラーの町、平日の朝から晩まで至るところで民家に隣接した町工場の、あらゆる機械の動き、擦れる音がガッチャンガッチャンしており、煙突からのけむりも至るところで見えました。隅田川の臭いもありました。

その視覚、聴覚、嗅覚が僕たちの幼年期の「栄養」を形成していたのではなかったかと思います。日中、今は概して静かで感覚刺激も少なく、あれっ?と思うくらい、地域性は薄まりました。他の地域でもそれなりの変化はきっとあるでしょう。

僕たち第二次ベビーブーマーは、例えばこうした地域と時代の変化を如実に感じ取りながら、現在進行形でいやおうなくそれぞれの人が、地域性と社会、時代の変化を経験している最中なのだと思っています。

変化の増す、だからこその一方で、自分のルーツを求める内的要求があります。根を下ろしたところが自分の素質の面ではともかく大事ですので、いま50代として生きる者にとっては多かれ少なかれ誰しも過去をひもとく必要があるのだと思います。

他方、この40年ちかくの間の変化を、僕は難しいとか、面白いなとか、ないまぜになるかたちで経験し、思ってきました。そのなかで、生きるということにはその混沌を踏み越えて、率直に環境に順応してはおれない、何かしら抗うものがあるのではないか、そう思って僕はこれまで過ごして参りました。

世界中の戦争やら紛争や不幸を思うならば、生きることそれだけで恩恵です。

しかし、生そのもののなかに、何故そうなるのかと思い、抗う営みの行為の小さな連続が含まれていて、ひょっとすると与えられた人生に完全に順応することは死ぬ瞬間までないのではないかと、僕はそのように思っています。別に政治的なメッセージではないのですが、子どもや若い人たちへの教育的なメッセージになり得るのであればと思います。

生のパッケージには穏やかであろうとそうでなかろうと、言語以前のレベルで、誰でも肯定しながらも、一方では否定し抗うものがあると僕は思っているのです。たとえば不安や希望とか他者への攻撃性とかいうものは、いま社会の至るところで表出されていていますよね。それらも生きることにかかわる根深い感情ですが、あんまりにいろいろな人々の感情の表出がシンプルなひとつの方向に向かうと全く良くない結果を生むと思います。ところが私たち50代ともなると、個人的、時代的な側面から、それまで作られてきたものが壊されていくことを見て、あるいは自分たちで壊しながら作り、生きることを一定程度経験してきたように思うのですね。だからそうは人生簡単には行かないし、時代の風潮に対しては、個人的にはそういうものかね、まぁまぁという感じで立ち会い、それぞれが切り抜けてきた印象があるのです。

この間は、直接そうした話題にはならなかったけれど、何だかそのような気持ちの周辺を、久々の同級生と、それぞれの指先で一緒になぞった感じもあるのです。

僕の勘違いじゃないといいけれど。皆、戦争を経験した祖父母や親世代でなくとも、ロスジェネ世代、時代の変化のなかでお互い一生懸命生きてきたね、と言いたい。

個人的には僕なんか相当成り行き任せの、いい加減なところがありましたが、同世代では誰彼と会わなかったこれまでの場面で、おそらく大変なことがあったように思うのですね。

そんなわけで、みんないろいろな分野で自分を発揮する時期に来ております。

同窓会の日、穏やかに過去を笑い転げながら、みんなと過去を共有し、またそれぞれにおそらく自分の過去をひもときながら、何だか今日一日を生きるパワーを得たような思いでいます。その余韻がどうしたわけか、わりに強く僕のなかにあります。

僕と同じ年頃の皆さん、同窓会っていいですよ。ぜひご参加してみてはいかがでしょう。現在を生きるパワーをもらえます。そして同級生の皆さん、荒川区を離れた遠方の人もおりますが、またいずれ集まりましょう。ありがとうございました。僕はお互いエールを送る気分でいます。これまでを肯定し、抗うところはそうしましょう。